比  熊  山   鳳  源  禅  寺
     
  
    当山は、三次浅野藩主の菩提寺として、初代藩主長治公が寛永9年(1632)広島浅野藩から五万石を分封された翌年、
    寛永10年(1633)に、萬室慈眼常光禅師を開山として建立されました。 まず目に入るのが浅野家の家紋「丸に違い鷹の羽」。
    寺号・鳳源寺は長治公によって命名され、本堂内の「鳳源寺」の額は長治公の筆によります。
    背後には中世にこの地方を支配した三吉氏の居城跡のある比熊山が、右手には江戸初期の城跡で桜と紅葉の名所である
    尾関山公園をひかえ、眼下に三次の街並みを見下ろせる立地にあります。
    五世和尚の頃まで禅堂があり、修行道場でもありました。
    本堂の外正面の「選佛場」という額は、当時の禅堂にかけてあったものです。
    庫裡裏の井戸は、開山当時の修行僧によって掘られたもので、「菩薩泉」といいます。
    赤穂事件で有名な浅野長矩の妻、阿久利姫(あぐりひめ)は三次生まれで7歳までこの地に住んでいました。
    広大な境内には見所が数多くあります。
  
 
 

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 三次藩と赤穂藩との関係 

 1. 三次藩(5万石)と赤穂藩(5万3千5百石)は、いずれも広島浅野を宗家とする
   分野筋である
 2. 三次初代藩主長治(ながはる)と赤穂初代藩主長直(ながあきら)は、従兄弟である。
 3. 長治の正室は長重の娘宇和姫で、つまり従兄弟夫婦である。
 4. 長治の娘 阿久利姫は、7歳の時赤穂浅野長長矩(ながのり)との縁組みを幕府に
   許され、生所三次を出立し江戸の三次藩今井下屋敷に入る。
   その7年後に挙婚した。(長矩16歳)
 5. 四十七士の一人 菅谷半之亟政利は、赤穂開城の後一時三次に陰棲した。
 6. 三次藩士 落合与左衛門は、阿久利姫の奥様衆として仕えた。
   墓は鳳源寺墓地にある。  


  三次義士祭

  元禄14年(1701)の刃傷事件で切腹となった浅野内匠頭長矩、
  赤穂藩47人を率いて仇討を果たした大石内蔵助。
  鳳源寺義士堂には「忠臣蔵」ゆかりの四十七士の出立の姿を
  模した木像が安置されている義士堂前があり、四十七士に
  向かって合掌している瑤泉院(ようぜいいん)の像があります。
  討ち入りがあった12月14日直前の日曜日には陣羽織で義士に
  扮した有志が、義士法要を営む義士祭が行われます。
  浅野家ゆかりの遺跡めぐりや宝物の展示討ち入りそばなども
  味わえます。
 


     

鳳源寺
大石内蔵助が手植えと伝えられる垂れ桜
阿久利姫

瑤泉院遺髪塔

神道碑

神道碑文

鳳源寺

浅野長治公

愚極泉

愚極泉の睡蓮

義士堂
鳳源寺

    
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